人の集まる席で唄われる島唄

島唄とひとくちに言っても、その内容には様々な種類がある。これを大きく分けると「遊び唄」と「祝い唄/教訓唄」ということになる。
 祝い唄は様々なお祭や行事の際に歌われるものである。代表的なものが「正月唄」と「年日祝いの唄」である。
正月唄は、言うまでもなく新年を迎えるめでたさを唄うものである。
年日祝いは13才から始まって25、37、49、61、73、85才に当たった時に祝うものである。そこでは、長寿を願い、一家の繁栄を祈りながら、親子の情愛を歌い上げる。

 婚礼もまた祝い唄のうちに入る。婚礼にはいろいろと式次第があるが、その式次第ごとに唄われる唄が決まっている。他に出産祝いの唄というのもある。

 教訓唄は、文字通り人生上の教訓を唄にしたものである。もともとは、儒教の影響を強く受けて出来た琉球歌の中の教訓唄が始まりだと言われている。そのような琉球教訓歌がそのまま唄われたものもあるが、島唄独自の教訓唄もある。
 教育など行きわたらない時代に、この教訓唄は無二の教育手段であった。

 遊び唄は「唄遊び」で唄われる唄の総称である。これは恋愛歌が非常に多い。しかも実話や伝説に基づいた、固有の人名が登場する物語歌が多い。 その他に生活苦や世情のうわさ話を唄にしたものも多い。この点は黒人ブルースと非常に似ている。

 総じて島唄は、身近な出来事や情感の動きを唄うもので、英雄豪傑や戦争の話は出てこない。また、藩政の圧制下で露骨に苛政を恨む唄もなくはない。が、哀調切々たる響きそのものが言わず語らずのうちに悲惨な生活を訴えている。
 そこにも島唄の特徴の一つがある。

うた遊びの場合、だいたいの曲順が決まっているところも面白い。
宴が始まると、まずは挨拶代わりの唄「朝花節」を唄い、次に「俊良主節」、「黒だんど節」と続く。
後半は三下がりの曲「嘉徳なべ加那節」などを唄い、最後は「六調」で全員熱狂的に乱舞する。
曲のキーもはじめは低めにして声を慣らし、宴が盛り上がってきたら徐々に上げていくようである。

 


 


島唄を生んだ悲しい時代背景
島唄の意味とは?
琉球歌と同じなのか、違うのか
人の集まる席で唄われる島唄
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島唄四方山話

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