管理人の日記です

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ヒージャ刺が食べたくなったから... 2002年6月22日

ちょっくら那覇にでも行くか。...ということで、6/23〜26まで沖縄に行ってきます。


「いも〜れ」にて大塚の夜は更けていく 2002年6月20日

昨夜(6/19)、「レゲエ&島唄ナイト」at大塚・ウエルカムバックに出演してきた。
ライブは朝崎人気とヤッホー人気のお陰で満席となり、特に第3部のレゲエ+島唄セッションではお客さんもノリノリで<注1>大いに盛り上がった
今回、朝崎先生と私はライブの前後に朝日新聞からの取材を受けた。記者の人は奄美島唄に関しての予備知識が無く、また音楽的な知識もあまり無いというので巧く伝わったかどうかは少々疑問だが、先生も私も島唄に対する思い、沖縄民謡との違いなどを数十分にわたって話したのでいい形で紙面に載る事を祈るばかりである。

さてライブも取材も終わり、一行はいざ打ち上げへと場を移したのだが、今回打ち上げ会場となったのはウエルカムバックから徒歩30秒のカラオケスナック「いも〜れ」。ライブにも来場されていた「いも〜れ」のママは<注2>古仁屋出身。そんなママから「打ち上げは是非うちで!」という熱烈なお誘いを受けたので、出演者&関係者総勢十数名がお店になだれ込むという展開になった。

お店に入ると地元の常連さん達が8名くらいいただろうか。みなさんカラオケで楽しんでいらっしゃる。一瞬「やばい所に来ちゃったかな」という思いが頭をよぎったが、その中にいらした一際ご高齢のオバア(写真の右端)の歳を聞いてびっくり。なんと御歳89歳!夜の<注3>11時過ぎにカラオケで楽しそうに次々と歌っているのだ。しかも音程も発音もリズムもしっかりしている。「大塚にも唄者がいた」私はそう思った。
そのオバアはじめ常連さん達の唄を10曲くらい聞き、こちらも少々辟易としてきた頃、「そちらさんもどうぞ〜歌って下さい」というお言葉が。
「では!」と言うことで私はシャミを奈良氏はチヂンを取り出し、「いとぅ」を演奏し出すと、我々グループの大合唱となってしまった。いきなり始まった唄遊びに目を白黒させる常連さん達の顔を横目にヤッホーのモッチーノさんまで「♪ハラヘンヤ〜サリコヌヨ〜」と合唱するのはかなり面白かった。そしてそのまま「渡しゃ〜六調〜天草」で踊り出すと、すぐに常連さん達も一緒に踊り出す。意外とすぐに順応する人たちだ。
そしてライブよりも長かった「六調」が終わると時計の針は0時を回っていた。朝崎先生が「そろそろ帰らなきゃ」と言う。するとママから「シマの唄をもっと聞かせてくれたら今夜は私が全部おごっちゃう!」と太っ腹なお言葉が飛び出した。「そう言う事なら」と先生・奈良氏・私のユニットで「行きゅんにゃ加那」と他に<注4>2曲ほど演奏させて戴いた。すると常連さんの一人である<注5>中年男性が「いや〜、いいものを聴けた〜。これであと1年はシマに帰らないでいいや」などと言って喜んでくれ、また、初めて島唄を聴いた人たちからも「素晴らしい」「良いものが聴けた」というお言葉を戴けたので大変嬉しかった。
と言うわけで、今回の打ち上げはライブと同じくらい熱く楽しいものでした。
上等なお寿司とシマ焼酎をたくさんご馳走になりました。とても美味しかったです。
「いも〜れ」のママ、ありがとう!

解説:
<注1>ライブでの模様はライブレポートをご覧下さい。
<注2>奄美大島本島南部の地名
<注3>私が退散した深夜1時すぎでも、オバアはまだ歌い続けていた。
<注4>もうなんだかよく覚えていない。
<注5>写真でオバアの左隣に座っている人。この人も奄美大島南部出身らしい。指笛が上手かった。


結婚式シマンチュの参列する結婚式 2002年6月10日

昨日6/9は文化の宅配便の仕事として九段会館で行われた結婚式に参加してきた。
依頼人の女性(新婦)の話によると「新郎の父上及び親族が奄美(徳之島)の人なので島唄をプレゼントしたい」という事で私と奈良氏にお声がかかったようだ。与えられた時間はお色直しの間の30分間。最初は「朝花節」など定番曲を何曲かやったのだが、どうもお客さんのノリが悪い。まぁ、これは島の人ばかりではないので致し方ない。しかし、後半「豊年節〜六調」になると指笛が飛び交うようになり、オジイやらオバアやらがぞろぞろ踊りながら出てきて会場全体が一気に賑やかになった。さすがシマンチュのパワー、一瞬シマで演奏しているような錯覚に陥った。
曲が終わって挨拶をし、ハケようとしていると新郎の父上が駆け寄ってきて<注1>はな!はな!」といって我々にオヒネリをくれた。そして「君らは名瀬?」とか「(武下)和平さんの弟子?」とか聞いてきたので「いいえ、朝崎郁恵さんの弟子です」というと「そうか!良かったよ、ありがとうね」と何度も言って喜んでくれた。その他いろいろな人から「ありがとう」という声をいただいた。
会場を出るとお色直しが終わり金屏風の前にスタンバっている新郎新婦と出くわした。彼らにも「すごい盛り上がりでしたね。ありがとうございます」と言われた。あれだけ喜んで戴いて、ホントにやりがいのある仕事だった。

解説:
<注1>シマンチュはオヒネリの事を「花」という。


「うたばうたゆん」ライブ 2002年6月7日

6/6(木)の<注1>うたばうたゆん”ライブに奈良氏と共にゲスト参加してきた。私の出番は後半の3曲だけだが、その3曲に精力を全て使い果たしたので今日はヘトヘト。盛り上げる事には成功したと思うが、ホント疲れた。

解説:
<注1>唄:朝崎郁恵、ピアノ:高橋全、写真:濱田康作によるCD付写真集。発売記念トーク&ライブが吉祥寺・スターパインズカフェにて行われた。。。


SWITCHとガラリ奄美の果物 2002年6月6日

自然食品の宅配をいつも頼んでいるのだが、その中にプラムやソルダムに似たすもも系の果物が入っていた。どうやら奄美の果物らしい。説明文の中にこんな事が書いてあった。

ガラリ・・・元ちとせも食べた?
奄美大島出身で「ワダツミの木」がヒットした元ちとせさん。「ワダツミの木」のシングルCDに入っている「幻の月」の出だしに「あかいくだものを、がりりと噛みました〜」というフレーズが出てきます。この赤い果物の正体はガラリだと思います。奄美特産のすもも、ガラリお試しあれ。

こんなところまで名が出ているとは。“元ちとせ人気”恐るべし。


詩島コンサート 2002年6月3日

5/25(土)詩島コンサートが無事(?)終了した。
コンサート後、主にNet上で音響が悪かった点や六調でお客さんが踊れなかった点をはじめいろいろと酷評されていたが、純粋に音楽の面(唄・演奏・曲の内容)を酷評されていたわけではないのでヨシとしたい。
まぁ、何に付け、新しい事をやろうとするといろいろと風当たりが強くなるものだ。「はまさき」の歌詞にも「山の高い木は風に憎まれる」というくだりがある。
また以前、<注1>とあるミュージシャンが「新しい事をやろうとしたらなんだかんだ言う人がいますが、見に来た人の半分が“良い”と言ってくれればそれは大成功ですよ」と言っていた言葉を思い出した。
とにかく、賛辞はもちろん酷評もいろいろと聞こえてきてはいるが、私はとても気持ちよくプレイできたし、朝崎先生の唄のすごさも再確認でき、非常に心に残るコンサートであった。

解説:
<注1>S.A氏。ジャズギタリスト。37歳。いずれこの人とも共演したいと思っている。


テレビ 2002年5月19日

急きょ決まったのだが、朝崎先生がスカイパーフェクTVの<注1>番組に出演する事になった。
番組中CD「詩島」から二曲「はまさき」と「行きゅんにゃ加那」をやる事になったので、我々伴奏隊も昨夜遅く都内某スタジオに駆けつけた。
私は不慣れな狭いスタジオの中でしかも生放送だったので緊張してしまったが、さすがは朝崎先生、深夜遅くてもリハがほとんど出来なくても本番では哀調ある素晴らしい唄声を聴かせてくれた。先生の隣で三味線を弾いていてとても心地よかった。

解説:
<注1>スカパー275ch「ぜんタネ#42」という番組。土曜深夜23:00〜翌1:00の2時間、吉本興業のぜんじろうとアーティストの種浦某がひたすら喋り続けるトーク番組。毎週ミュージシャンがゲストに呼ばれているらしい。


リハーサル&古代人 2002年5月8日

昨日、都内某スタジオにて行われた“詩島ライブ”リハーサルに参加してきた。
私の参加する曲は三味線で「一切朝花」「行きゅんにゃ加那」「六調」「東れ立雲」、ギターで「諸鈍長浜」。それに「いとぅ」も加わった。またその他に「渡しゃ」も中孝介くんとの二丁三味線でやる事になった。

リハの後、打ち合わせの場で<注1>古街道研究家・宮田氏が大変興味深い話をしてらした。縄文時代に沖縄・奄美から関東へと上陸した古代人たちは江ノ島から上陸して様々な場所に街道と集落を作っていたそうだ。その街道の1本は田園調布にもつながっていて、ここにも集落を作っていたそうである。
私は幼少時に等々力に住んでいた。高校は田園調布にある都立高に行った。そして今は自由が丘に住んでいて奄美の音楽に携わっている。常に田園調布やその界隈で生活を送ってきたのだ。これもやはり何かの“縁”なのだろうか。宮田氏の話を聞きながら<注2>「神の引き合わせに稀れ稀れ汝きゃば拝でぃ」というフレーズが頭の中で繰り返し流れていた。

解説:
<注1>昨年7月に橋本で行われたイベント“七夕結サー”で古代人と橋本の関係を語った熱き古街道研究家。5.25詩島ライブでも氏のコーナーがあり、古代人と王子(会場である北とぴあ周辺)の話をしてくださる事になっている。
<注2>「かみのひきあわせに、まれまれなきゃばうがでぃ」と朝花節で唄われる。「あなた方とこうしてお会いできるのは稀有な事です。きっと神様のお引き合わせでしょう。」という意味。


かずみ 2002年5月4日

昨夜、<注1>携帯が鳴るので着信表示を見ると森田三線教室のオ○タ氏だ。「確か彼はいま奄美に旅行中のはずじゃ...」等と考えながら出てみると「こんばんは〜」というオ○タ氏の声の後ろがえらく賑やかである。よく聴いてみると「渡しゃ」が唄われている。「いま、<注2>かずみ”で〜す。西さんと安原さんと森田師匠と中くんが唄ってま〜す!」とオ○タ氏。なんと、わざわざ実況生中継をしてくれたのだ。「かずみ」未経験の私にとっては大変ありがたかった。

解説:
<注1>因みに私の携帯の着メロは「ええうみ」である。これは島唄関係者からかかってくるときのグループ別着メロである。ついでに言えば「千鳥浜」も着メロとして打ち込んである。これを聴いたミュージシャンN氏に「ヒマ人だな〜」と言われてしまった。まぁ、確かに...。
<注2>奄美大島は名瀬市にある郷土料理屋さん。唄者・西和美さんの経営であるため、地元の唄者たちが毎晩のように集まり唄遊びが行われている。


リハーサル&録音 2002年5月1日

昨日、都内某スタジオにて行われたリハーサルに参加してきた。5.25に開催されるCD“詩島”発売記念ライブのリハーサルである。このライブでは“詩島”に収録されている7曲に加え、新たにアレンジを施された島唄や八月踊り唄が数曲披露される。ミュージシャンみんなで意見を出し合いアレンジしたのでどの曲もとても格好いい仕上がりだ。その中でも「東れ立雲(あがれたちぐも)」はレゲエバージョンでかなりノリのいい仕上がりとなっている。(必聴!)
またCDに入っている「諸鈍長浜」も急遽私がギターで加わる事になった。<注1>アコギを使うかエレキを使うか、悩むところだ。

リハーサルの直後、同スタジオにCD“海美”をプロデュースしたピアニスト・高橋全氏が現れた。前日に依頼された三味線伴奏を録音する為だ。朝崎先生のニューアルバム<注2>“海美2”の「嘉徳なべ加那節」に三味線の伴奏を入れたのだが、仮録音という事でものの10分で収録が終わってしまった。
スタジオを出ると朝崎先生はじめ詩島メンバーがまだ全員ロビーに残っていたので近くのカフェでお茶をした。いろいろな話で盛り上がり3時間も話し込んでしまったのだが、ここの店員の一人(洒落たお店にそぐわないオバちゃん)がえらく感じ悪かったので、「こりゃまたずいぶん感じの良い応対だこと!」と聞こえよがしに言ってやったら奈良さんに「こらこら」と軽く突っ込まれてしまった。(汗;)

解説:
<注1>アコースティックギターの意。「阿漕」とは違います。念のため。
<注2>正式タイトルではないと思います。


結ま〜るライブ 2002年4月21日

初めて朝崎先生の伴奏を初めてやらせていただいたのが99年の五月だから、今回のライブは私が三味線デビューしてちょうど3年目のライブになる。最初はただただ緊張するばかりだったが、最近はライブを楽しむ事が出来るようになった。特に朝崎さん・奈良氏とのユニットでやるときが一番やりやすく、そして楽しい。
ライブ後、三味線を片づけに楽屋へと行こうとしたらその途中で森田三線教室の生徒様ご一行に呼び止められ(呼び止めたのはリーダーのオ○タさん)、座敷で唄アシビをする事になった。いきなりリクエストされたのが「曲がりょ高頂」。なんて難しい曲をリクエストするんだ?ライブの直後だったので高い声がガラガラで全然出なかった。※聴いていた方(ほんの数名だけど)、下手ッピーですみませんでした。練習しときま〜す。
でもああいった座敷での唄遊びスタイルは私は大好きである。


シマ唄教室 2002年4月8日

SPCライブの翌日6日は朝崎先生のシマ唄教室の日だったが、中止になってしまった。ライブやレコーディングが続いたので先生はお疲れのようだ。


指笛(はと) 2002年4月6日

4月5日(金)は吉祥寺スターパインズカフェで行われたシマ唄ライブに行った。当初、一お客さんとして見に行く予定だったが、前日の夜に主催の方から急遽「<注1>指笛で参加して欲しい」と言われたので早めに会場行りした。この日のライブは奄美シマ唄と沖縄民謡のジョイントライブという企画で、奄美代表として若手No1唄者の中孝介くん、沖縄代表として八重山民謡の実力派唄者・大島保克さん、さらにギタリスト・春日博文さんやいつも私の相方を務めてくれているパーカッショニスト・奈良氏も出演するとあって、前々から楽しみにしていたライブだった。
現地には開場20分ほど前に到着。着くなり主催者の方から「二曲目の“一切朝花”で指笛をお願いします」と言われた。楽屋へ行って出演者と挨拶(大島さんとは初対面)し、四方山話をしているうちに開演の時刻となり、中君が出ていく。初めはバックステージで指笛を吹くものとばかり思っていたが、ステージに上がって吹くように言われてしまった。三味線も持たず手ぶらで出演するのは恥ずかしいと思いつつも「一切〜」のイントロと共にステージに上がると、予想通り急に緊張してしまい、全く良い音が出なくなってしまった。吹きながら気づいたのだが、指笛は指と口の中が適度に湿っていないといい音が鳴らないのだ。その時の私は緊張のため口の中が乾燥してしまいキレイな音が出なかったのだ。ううむ...失敗してしまった。
その後“豊年節”や“六調”ではバックステージに隠れて指笛を吹いた。この時は良い音が出た。指笛は落ち着いて飲み物などで適度に口の中を湿らせて吹けば良い音が出る。風呂場で練習したときに良い音が出たのはこのためだったのだ。
ライブ後にbikibikiさんから「HPに“指笛の吹き方”をUPして下さい」と頼まれたので、近日中にUPしようかと思っている。

それにしても相変わらず中君の声は良い。また、初めて聴いたのだが大島さんの唄もすごく味があって良かった。

解説:
<注1>「指笛」と書いて「はと」と読む。アクセントは「と」に置く。読んで字の如く、指をくわえつつ息を吹いて音を出す。奄美・沖縄地方では唄に合わせて指笛を吹く。これがあると宴が一段と盛り上がるのだ。


文宅パーティー(青山の高級マンションの一室)パーティー&ライブそして“はやり節” 2002年3月31日

3月28日(木)は青山で開かれた“文化の宅配便”設立パーティーに参加してきた。(写真右。左端は文化の宅配便代表・池田氏)
様々なジャンルのミュージシャンを派遣する“文化の宅配便”の設立パーティーということで、我々タナカ奈良コンビを含め三組が所属ミュージシャンを代表してプロモーションの為の演奏を行った。
まず最初に“オンド・マルトノ”というフランス製の古い電子鍵盤楽器を弾く女性のソロ演奏、二組目にヴァイオリンの弦楽二重奏、そして三組目に我々が...。
クラシックのあとに民謡?と、いささか場違いな感じもしたが「俺たちのやっている音楽だって日本のクラシックだ。構うものか!」と十八番の“チンダラ三部作”そして“朝花”を披露してきた。ワイン片手のサロンパーティーという場で演奏したのは初めてだが意外にもウケは良く、演奏後「素晴らしい音楽でした」と何人かの人に声をかけられた。やはりみんな日本人の血が通っているのであろう。しかし弦楽二重奏の女性二人は最後まで我々と言葉を交わしてくれなかった。ヒゲ面のオッサン二人組に恐れをなしていたのだろうか(汗)

さて、その翌29日(金)は阿佐ヶ谷“グルくん”にてライブ。
雨のシトシト降る中、よく集まって戴きました!来て下さった方皆さんに感謝します。
我々も阿佐ヶ谷でやるのは初めて、会場となった“沖縄料理店・グルくん”も奄美民謡をやるのは初めてということで、小さな会場とは言えライブ直前までお客さんが入るかどうかとても心配だった。しかし、蓋を開けてみたら場内超満員で立ち見の人まで!これは嬉しい誤算でした。
ライブ後半ではアンコールに次ぐアンコール、そしてママ(南大島・嘉鉄集落出身)も“黒だんど節”を披露してくれ、場内は大変盛り上がった。
このライブの発案・チラシ作りやPAのセッティングまでをボランティアでやってくれたキタバタケ氏にはこの場を借りて感謝の意を表したい。(次もお願いしますね。)

我々のライブが終わった後、ママの叔父さんという老紳士が「故郷・嘉鉄だけで唄われる“はやり節”を演奏します」と三線を持って出てきてママがそれに合わせて踊りを披露したのは大変興味深かった。私も大抵のシマ唄は聴いているつもりだったが“嘉鉄だけで唄われるはやり節”とは初耳。どんな曲か非常に楽しみだった。演奏が始まってすぐに気づいたのだが、その曲は朝崎先生や武下和平さんの唄う“誇らしゃ節”だった。リズムはシャッフルではなかったが、歌詞もメロディーも誇らしゃ節とほぼ同じだった。
同じ東節(ひぎゃぶし:南大島の唄い方)でもリズムとタイトルが違うとは面白いではないか。
またまたシマ唄の奥深さを見たような気がした。

※ライブの状況はライブレポートをご覧下さい。→見る!


ハチさんとカサン唄 2002年3月15日

中君とのライブ前にスタジオで簡単なリハを行った。約束の3時より少し前ににスタジオ入りすると、中君、奈良さん、そしてギターの春日(ハチ)博文さんの三人がスターパインズカフェのライブ(4月5日公演)に向けてリハをやっていた。
春日さんのギター演奏を生で見るのは初めてである。し、渋い。古い色あせた<注1>ストラトをかかえて籐の椅子に座り、リラックスした感じで中君の「朝顔節」にギターを絡めている。さすがに70年代、日本のロックシーンをリードしてきた人の演奏だ。カッコイイ。これを見られただけでも今日来た甲斐があった。
そしてしばらくすると、スタジオに蛇革ジャケットを着た茶髪のお姉さんが入ってきた。一見、ロックシンガーのようにも見える。紹介されて驚いたのだが、この娘が<注2>笠利(カサン)系唄者の里アンナちゃんである。そして挨拶もそこそこに中君の伴奏でカサンの「朝花節」を唄ったのだが、その声のパワー、そして外見と声とのギャップに度肝を抜かれてしまった。素晴らしい。私は初めてカサン唄を目の前で聴いたが、「カサンもいいなぁ」としみじみ思った。
春日さんのギターとアンナちゃんの唄を聞けた事、予想していなかったこの嬉しい二つの出来事でライブ前に「あぁ、きょうは来てよかった」と私はすっかり満足してしまった。

※ライブの状況はライブレポートをご覧下さい。→見る!

解説:
<注1>ストラトキャスター。米国フェンダー社製のエレクトリック・ギター。エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスなど超有名ギタリスト達も愛用している事で有名な名器。
<注2>奄美のシマ唄は同じタイトルの唄でもシマ(集落)ごとに唄い方が異なるのだが、大きく分けて大島北部で唄われる笠利唄(かさんうた)、大島南部で唄われる東唄(ひぎゃうた)の二つに分けられる。因みに喜界はカサン系と言われているが、実際はカサンの唄い方ともかなり違う。


島唄講座 2002年2月9日

新宿・住友三角ビルの朝日カルチャーセンターで行われた「島唄講座」なるものを見てきた。大学教授が徳之島を中心とした奄美民謡を数年に渡って研究したお話を聞けるという。もちろん講義にも興味があったが、それよりこの日のゲスト唄者である中島清彦さんの声を聴きたかった。いつも私のパートナーをしてくれているジャンベ奏者の奈良氏が一度徳之島でこの中島氏と競演した事があるらしく「素晴らしい声の持ち主」と絶賛していたからだ。
なんとその中島氏が遅刻をしてしまい、私が代わりに朝花節を伴奏する事になったのは苦笑ものだったが、奈良氏の言う通り中島氏の歌声はハリ・艶・パワー・コク・切れと感動的に素晴らしいものだった。そして男性にしてはキーが非常に高い。まるで若かりし頃の武下和平さんの唄を聴いているようだった。
この日お囃子をしていた本多よしのさん。以前は朝崎先生のお弟子さんだったそうだ。私も自己紹介を兼ねてご挨拶をしようとしたら、なんと私の事をご存じだった。よくよく聞いてみれば、私の祖父(コオル兄さん一世)と知り合いだったそうだ。本多さんは「おじい様にはホントにお世話になったのよ〜」と言われていた。恐るべしコオル兄ィ。


1.30代官山『雲雀屋』にてアジアン・レストラン 2002年1月31日

昨夜は代官山の『雲雀屋(ひばりや)』というアジアン・レストランにてミニ・ライブを行ってきた。何も知らずにコース料理を食べにきたお客さん達の前で行うゲリラ・ライブ的な物になってしまったが、何の予告もなしに突然ライブを始めた割には案外お客さん達は聴いてくれた。「“いとぅ”が良かった」とお客の一人に言われたし、お店のアジア料理は大変美味しかったので、こういう出演もたまには悪くはないな、なんて思った。因みに黒糖焼酎も置いてあった。(素晴らしい)
しかし店内がやたら乾燥していたのに加え、タバコの煙が蔓延していた為、マイクなしで唄うのはかなりしんどかった。


結ま〜るライブ/CD 2002年1月18日

今回はホント盛り上がりました。レゲエミュージシャンのPJさん始め音楽関係者の方々も多数見に来られていましたが、さすが朝崎先生のパワーと言った感じ。今年になって益々精力的な活動を始めた朝崎先生が4年ぶりにリリースするニューアルバムも2/9の発売が楽しみです。
盛り上がったライブの方はライブリポートの方を見ていただくとして、ここでちょっとニューCDの宣伝を...。
タイトルは『詩島』。全7曲入りで八月踊り唄の「はまさき」や「諸鈍長浜」など島唄アルバムとしては珍しい曲も入ってます。特に「諸鈍長浜」は朝崎先生のリクエストによりレゲエ・アレンジが施され大変格好いい仕上がりになっています。(この曲のドラムスはPJさん)
私の参加した「一切朝花節」はデジタル楽器のシンセサイザーと生楽器の蛇皮線・ジンベ等が融合し、これも素晴らしい仕上がりです。因みにこの曲で私は蛇皮線の他に指笛でも参加しています。私がデモを聴いた段階では「いとぅ」のアレンジがまだ決まっていなかったようだけど、その後どうなったのでしょうか。きっと永田氏の事だから格好いいアレンジで仕上げてくれる事と思います。
その他「雨ぐれ」「曲がりょ高頂」などしっとりとした名曲をピアノ・アレンジで、そして「行きゅんにゃ加那」もシンセと蛇皮線でアレンジされています。このアルバムは、今まで「洋楽器に合わせ辛い」と考えられていた奄美島唄の新しい可能性を示す一枚となるでしょう。みなさま、お楽しみに。


リハ 2002年1月15日

今日は奈良氏と一緒に朝崎先生宅で18日のリハをやってきた。
その帰りに東横線の駅で電車を待っていると「奈良さんとタナカさんですか?」と女性に声をかけられた。どこかであった事のある人で顔は覚えているのだが、私も奈良氏もすぐには思い出せなかった。失礼と思いつつも聞いてみると結ま〜るで前回の我々のライブを見に来てくれた人である。平日の夕方にあんな所で合うなんて、世の中は狭いものだ。

朝崎先生は去年の1月以来、久々の結ま〜る出演となる。乞うご期待!


六本木440新年会ライブin六本木 2002年1月12日

1/12(土)の夜に六本木・BAR440にて新年会を兼ねたライブを行った。出演は私と太鼓の奈良氏、そして昨年12/16に初めて一緒にライブを行ったスーパーベーシスト・鈴木コウユウ氏の3名である。
前回3人でライブをした後に一度も会っておらず、リハもしていないので少々不安であったが、演奏を開始した途端にそんな不安は払拭された。
私と奈良氏はいつものように演奏しているだけなのだが、鈴木氏のベースがいい感じに絡んでくる。とてもやりやすいのだ。この約1ヶ月の間、彼なりに研究してくれたのだろう。演奏者がやっててとても気持ち良かったので、そういうものは伝播するのであろう。お客さんの反応も上々だった。今後このユニットで活動するのが非常に楽しみである。


スタジオミュージシャン2 2002年1月11日

昨年12/15分の日記をご覧になっていただいた方はご存じと思うが、朝崎先生が2月に新しくリリースするアルバムの録り(第二弾)に行ってきた。今回は諸々の事情でプロデューサー・永田氏の自宅録音という事になった。
夜8時、仕事を終わらせた私は車を飛ばし新百合ヶ丘の先にある永田宅へ。到着すると早速、前回時間が足りなくて録れなかった部分(一切朝花の間奏)である蛇皮線ソロを録る。はじめの何回かは私が細かいミスばかりしてNG続いたが、5回目くらいから弾けるようになってきた。しかし、ノリが今イチ。その後何度もやっているうちにやっとノッてき出し、自分でも演奏が良くなってきた事に気づいた。10回くらい録ったところでOKを貰いこの曲は終了。そして食事をご馳走になり、もう一曲。次は「行きゅんにゃ加那」である。シンセと唄だけを録ったものに蛇皮線の音をかぶせていく。インテンポではないので、これが案外手こずった。しかし「一切〜」ほどではなく5回くらいでOKを貰った。そして最後に指笛(ハト)の録りだ。7分間もある「一切〜」の最初から最後まで指笛を吹きまくった。これが意外とキツく、後半は音はちゃんと出ないわ酸欠で頭はくらくらしてくるわで、散々だったがいい音が出ていた所を使ってくれるそうだ。この時点で深夜1時過ぎ。昼間の仕事疲れも手伝って少し眠くなってきたので、そろそろお暇しようかと思っていると、そこにCDのデザイン担当である伊藤氏が現れた。CDジャケットとライナーのデザインが出来たと報告に来たらしい。伊藤氏が「これでもか!」とこだわって作った今回のCDジャケットはとても素晴らしい物になりそうでライナーはまるで1つの読み物のように内容が濃くしかも美しい。2月9日の発売日を楽しみにしていただきたい。


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