管理人の日記です

前の日記[2004年前半]


3連チャン 2004年12月27日

先週は23日のマブリライブ以後、24日がわぃわぃライヴでママのサポート、25日が忘年会&ラジオ沖縄の番組収録で結局3日連続で結ま〜るに通った。
23日は祝日という事もあってかいつもの結ま〜ると比べたらお客さんの入りがイマイチだったのだが、翌24日のクリスマスイヴはせっかく悦子ママがサンタの恰好をしていたのにもかかわらず、前日の半数とさらに少なくちょっと寂しい感じがした。
ところが25日の忘年会は溢れんばかりのお客さんの数、店の中がごった返しててすごい状況の中、ラジオ沖縄の正月番組を収録する事になった。正月番組なので挨拶は「明けましておめでとうございます」だ。私も悦子ママを相方にシマ唄を4曲ほどやらせて頂いた。収録をしていると思うと緊張してしまうので、曲を始める前に「皆さん明けましておめでとうございます、タナカアツシです。今日はラジオ収録があるというので大島紬を着てきました!」と言って笑いをとり、少しリラックスできた。もちろんこの日の私の出で立ちはセーターにジーンズという普段着、しかも足元はお店の座敷席用サンダルだった。
この日の模様はラジオ沖縄で来年1月2日にオンエアーされるらしい。残念ながら東京では聴けない。


疲労 2004年12月14日

ここ十日間の忙しさは半端でなかった。
12/3の初台TheDOORS出演を皮切りに翌日は早朝の飛行機で師匠らと福岡へ。その日のうちに本番を終え、打ち上げの場へ。その後ホテルに着いたときは既に深夜0時頃だったと思う。前日のDOORSライヴから帰宅したのが深夜2:00頃だったので、睡眠不足の私はこの時点でかなり辛かった。(ピアノ弾きの人と太鼓叩きの人はNHKの人たちともう一軒行ってたが・笑)
翌日は昼12:00発の羽田行きに乗るため福岡空港に行くと午前中の便が全て欠航となりロビー全体が殺気立っている。どうやら前日から東京では季節はずれの台風のような大荒れの天候だったらしく、その羽田から飛行機が出発できないから我々が乗る予定の便もどうなるか解らない、という状況。仕方ないので喫茶店で時間を潰すことにしたが、待てど暮らせど正確な情報は知らされない。結局その店には4時間以上居座り、いい加減辟易としてきた頃にやっと飛行機が飛ぶ事になった。定刻の5時間遅れである。興行元の計らいでエコノミーよりワンランク良い座席を用意されていた事もあり「さぁて飛行機の中で熟睡するぞ〜」と思っていたが、西→東は追い風となるため僅か小一時間のフライトとなるので、なんだかんだと雑談しているうちにすぐに羽田に着いてしまった。結局帰宅したのは20時過ぎ。ヘトヘトに疲れたが新幹線に振り替えたり延泊することなくこの日のうちに帰られたので一安心。
さてその翌日12/6はスタジオに入りマブリ新CDの録音とうずまきのリハ、翌7日(火)は町田きびでのライヴ。9日(木)は再びスタジオにてマブリ新CDの録り、翌10日(金)が結ま〜るライヴで、11日(土)がシモキタにてうずまきライヴ。まだまだ終わらず12日(日)は国立で障害者のXmasパーティにゲスト参加、翌月曜はマブリ新CDのミックスダウン作業でまた深夜まで。...とまぁこんな感じで常に頭の中が同時に3つくらいの事を考えていなければならないような状況の十日間だった。
因みに福岡行きの日と7日(火)以外は全部本業の方も休まず働いたのである。本業を休んでいればこれくらいスケジュールでもそれほど辛くないかも知れないが、本業も休めないのでかなり骨身に応えた。今日は本業が休みなのでいろいろとまたやりたい用事があったのだが、結局昼まで寝てしまい、更に午後には昼寝をしてしまい、何だか寝ても寝ても眠いのである。今もこの更新作業をしながら眠くて仕方ない。ホントはゴロゴロしていたいのだが、今夜は昨日82才を迎えた祖母を祝いに行く事になっている。白髪年方や床の前に祝て吾きゃや下さがて拝でうぇすぃろ。(=白髪のお年寄りは床の間の前に祝って、我々は下座に下がって拝みましょう)


リハーサル 2004年12月2日

先日12/3ドアーズでのライヴのリハーサルが都内某所で行われ、師匠の「おぼくり〜ええうみ」を独自のアレンジで唄っている女性シンガー・中山ラビさんも見えた。
このラビさんがライヴで唄っている「ええうみ〜おぼくり」をラジカセで聴かせて頂いた。これがパワフルでかなり恰好いい。(3日のライヴではピアノ・太鼓・アコギの伴奏でやるので、また少し違うアレンジとなる。)
恭子嬢などそれを聴いて高揚してしまい、その夜は眠れなかったらしい(笑)


七回忌 2004年11月30日

六調

一昨日は祖父(コオル兄さん1世)の七回忌だった。祖父は湿っぽい事が大嫌いだったので、四十九日の時も三回忌も今回の七回忌もみんなで大いに盛り上がった。祖父もあの世で指笛でも吹いて喜んでいると思う。

カヨコさんが六調を唄ってくれた。 さすがにシマンチュが多いので踊りがなかなか終わらない。


職人さん 2004年11月23日戴いたヤスリと糸巻き

前述した通り昨夜は五反田・結ま〜るで『わぃわぃライヴ』が行われた。痛む指を庇いながらなんとか2ステージ保たせた。
月曜日だったが明日は祝日という事もあって店内は超満員。そしてなんと客席には沖縄から喜屋武商店(浦添の三味線店/新城工作所)の喜屋武さんと名護店の職人さん・金城さんもいらしていた。今年1月にお世話になったのでご挨拶をしつつ、その後に直して貰った糸巻きが折れてしまった旨(↓10月8日の日記参照)を話していると金城さんが鞄の中に手を入れゴソゴソしてたかと思うと、様々な形の糸巻きと工具が出てきた。「さすがは職人さん。旅先にも仕事道具を持って歩くんだな〜」等と感心していると「この糸巻きと同じなら差し上げますよ」と言う。更に「このヤスリもあげます」と。更に更に「大島弦も1セットありますから、良かったらどうぞ」とこれもまた戴いてしまった。なんて良い方なんだろう。金城さんにはもちろん、このお店を紹介してくれた悦子ママとKUWA氏にも感謝しきりである。ライヴの後にはこのヤスリの使い方と削るときの注意点までしっかりとレクチャーして頂いた。
戴いてばかりではあまりにも申し訳ないので、金城さんにはこの日使っていた私の愛用ピック(オレンジ色のグレッチ製)を差し上げたが、何もなかったとはいえもっとマシな物をプレゼントすれば良かったなぁ。


やっちまった直後の画像痛ててっ! 2004年11月22日(その2)

今夜は結ま〜る『わぃわぃライヴ』。またいつものように悦子ママの相方である。「さて、出かける前に済ませておくか」と、ギターの弦を張り替えているときに「痛っ!!」やってしまった。ペンチで指を挟んでしまったのだ。しかも演奏で一番よく使う左手の人差し指。やった直後は痛くて人差し指全体の感覚が全くないほどだった。中学生でギターを始めてから今まで弦の張り替えなんぞ何千回もやっているのにこんな失敗は初めて。しかもよりによってギターや三味線を弾くときに一番よく使う左手の人差し指だ。「なにもライヴの4時間前にやっちまう事はないだろ!」と自分にツッコミたくなってしまった。案の定、ライヴ本番でギターを弾く時、特にコードを押さえるときは激痛が走りまるで拷問のようだった。三味線弾き、ギター弾きの皆さん、指先は大事にしましょうね。


レコーディング 2004年11月22日(その1)

今日は「良い夫婦(11/22でイイフウフ)の日」。
どうでもいい話だが、昔は11/22を「イチイチ・ニーニー」と言って、大田区のトーヨーボール前に近隣の暴走族が集結する日として地元では有名だったが、最近はそんな話もあまり聞かなくなった。

さて、先週は2回に渡ってスタジオに入りマブリの新CDのレコーディングを行った。前回のCDはライヴを見に来たお客さんから「CDは無いの?」と言われる事が多かったので、記録用にライヴを録り貯めたMDから状態の良い物を10曲ほど抜粋して一枚のCDにまとめて試しに作った物だったので、音のバランスが悪く太鼓ばかりが耳につく物になってしまった。そんな作品ではあったが、ライヴのノリが意外にも好評で、今までで100枚近くを配布することが出来た。しかし、どうせならもう少し音質の良い物を作ろうと言う意見がメンバーから出始め、今回スタジオ録音版を作る事になったのだ。収録を予定している全13曲のうち三味線曲が7曲、ギター曲が6曲という内訳で、ライヴで良く演奏する曲を中心にまとめてある。まだあと最低3回はスタジオに入らなければならないのだが、このメンバーでスタジオ録音するのは初めてなのでみんな楽しみながらやっている。時間・予算・使える機材など限られた条件の中でどんな物が出来るのか、自分たちも今から楽しみだ。


不眠の特効薬 2004年11月18日

昨日、免許証の更新に行ってきた。
最近切られた違反切符は2年以上も前になろうか。私以外誰も走っていないようなガラガラの道路で「おっとイケナイ、ここを右折だった」と言う感じで車線変更をして右折レーンで信号待ちをしていると、物の影からスッと中年の警官が現れ「大変危険っ!」だの「黄色車線ではないか!」だのと鬼の首でも取ったかのような騒ぎをして違反をとられた事、その1回(1点)こっきりだったので今回の更新は近所の警察署で簡単に済ませられると思っていたのだが、そんなに世間は甘くなかった。この3年でいつの間にか道路交通法が厳しくなっていて、過去3年間にたった1回でも違反があると鮫洲まで行かねばならぬようになったらしい。無事故無違反の優良ドライバーは30分の講習で済むようだが、私の場合鮫洲で1時間の講習を受けねばならない。内訳はビデオ30分、講師の退屈な喋りが30分である。この語りの方が曲者で大抵こういう所で講師をされている人は(偉い人なのかも知れないが)おじいちゃんで声のトーンにも張りがなく話も面白くないと相場は決まっている。案の定私が当たったのもその類だった。更に困ったことに早口で滑舌まで悪いので話がよく聞き取れないのだ。予想通り講習が始まった途端ものすごい睡魔が襲ってきた。私の斜め後ろに座った若い女性は舟を漕ぎだしている。それが視界の隅に入るものだから尚のこと眠い。ボールペンもガムも車の中に忘れてしまったのでやる事がない。仕方がないので私は頭の中で一生懸命「すばやど節」を唄っていた。何回も何回も繰り返し唄ってどうにか居眠りをせずに1時間を乗り切る事が出来た。
しかし、警察ってこんな面白くも何ともない講習をダラダラとやって、真剣に事故や違反が減るとでも思っているのか。罰ゲームのようなものとしか思えない。


不眠で悩んでいる方は是非この講習に参加してみて下さい。すぐに眠れると思います。


コクタン(?!)の種 2004年11月3日

昨日、十五夜会での事。
恭子嬢がシマの豊年祭から帰京し、何やら小さな粒をお土産にと皆にくれた。その粒は黒檀の種だという。おぅ!じゃぁさっそく庭に植えて三味線の棹に使えるまで育てるか!なんて言ったものの、棹として使えるようになるまでには30年くらいかかるらしい。
そんな話をしていると、ある若手メンバーが意外な事を言いだした。
「コクタンって木なんですか?」...おいおい、木じゃなかったらなんだと思ってたんだ???
「炭じゃないんですか?」...おいおい、三味線の棹になるくらいだから堅い木じゃなきゃダメでしょ。あんた、マイ三味線持ってるじゃない!
「私、ずっとコクタンって炭だと思ってました」...黒炭って、おいおい、炭だったらスカスカで棹になんか出来ないでしょ!
英語ペラペラで普段は知的で通っているJassyな小部屋のナッちゃんの天然な一面を見た夜であった。


わぃわぃライヴ 2004年10月30日

昨夜は『結ま〜るわぃわぃライヴ』に参加してきた。わぃわぃライヴは月に1〜2回五反田結ま〜るで行われる沖縄民謡を中心とした何でもありのライヴで悦子ママが唄い三線を弾く。私は今年に入ってから頻繁に助っ人として参加しているが、基本的に沖縄曲はあまりよく知らないのでギターでママをサポートしている。これに昨日はマブリの相方・奈良氏も久々の参加となった。
その中で私と奈良氏の二人のコーナーを与えられたので「心に染みる70年代フォーク特集」と称してアリスの名曲「冬の稲妻」と「遠くで汽笛を聞きながら」をギター2本でやってみるとこれが予想以上に大ウケ。踊り出すお客さんまで出る始末(踊る曲ではないと思うが・笑)。以前にビートルズをやった時もかなりウケたので、今回は日本のフォークソングをと思いトライしたのが大正解。時々はこういった何でもありライヴが楽しい。
ライヴ後は塩ヤキソバとジーマミー豆腐を頂いて大人しく家路に就いた。(結ま〜るの食べ物はどれも美味しいけれどこの2つは特にお勧め)


唄あそび→ライヴ 2004年10月24日

昨夜は久々に時間が出来たのでグルくんの『毎月定例・唄遊び』に参加してきた。相変わらず主宰のオジさん二人は元気で、F氏からは自作三味線について、K氏からは自作バチの製作秘話や苦労話を聞く事が出来た上、その苦労した作品を1本頂いてしまった。残念な事に、次に用事があったので1時間だけの参加となってしまったが、いろんな唄い方が飛び出す唄遊びはやはり楽しかった。
さてその後に大急ぎで向かったのは青山。スパイラルCAYで行われる師匠のライヴである。よくよく考えてみれば私は師匠のライヴを客として最初から最後まで見た事は今まで一度もなかった。今回はマネージャーW氏が「勉強になるから」と誘ってくれたので、お言葉に甘えて行く事にしたのだ。ライヴはクラブイベントということで、オールスタンディングの会場内には若者がたくさんいた。せっかくだから全体を見渡せる場所から見ようと思い一番後ろに陣取る。
ライヴが始まるとそれまで騒がしかった若者達が真剣に師匠の唄を聴いている。中には涙する者もいるくらいだ。曲によっては三味線の音がなくて寂しく感じるものもあったが、師匠の歌声はやはり凄く、ピアノの黒木さんとパーカッションの土居さんのプレイヤーとしての素晴らしさも再確認できたし、お客さんの反応を客席の中で見聞きする事が出来て非常に勉強になった。また「この曲良いね」とか「良いライヴだね」という声をいくつも聞き、我が事のように嬉しくなった。
しかし、ずっと立ちっぱなしで見ていたので腰や背中が痛くなってしまった。40直前の体にオールスタンディングはちょっとしんどかったようだ(涙)。


野茶坊ネット唄遊び 2004年10月13日

先日(10/11)、野茶坊ネットの主催する唄遊び会に出席してきた。昨年古仁屋に行ったときにお世話になった武下流古仁屋同好会のNaoさんとヒギャのホープ・保田大介君が上京するということで野茶坊ネットのmidoriさん幹事となってセッティングしてくれた唄遊び会である。会場に行ってみると三十数名もの人でかなりの熱気。初めは十名くらいでこぢんまりと行う予定だったらしいが、さすがNaoさんのお人柄、たくさんの人が集まったようだ。人数が多いので唄遊びと言うよりNaoさんと保田君のミニライヴといった風で、純粋な「唄遊び」とはちょっと異なった感じで前半は行われていたが、後半は森田三味線教室の生徒さん達をはじめ色々な人がたくさんの唄を聴かせてくれたのでたいへん勉強になった。僭越ながら私も恭子嬢を相方に「朝花」と「喜界やよいシマ」を唄ったり、グルくんママの叔父さん・福本氏の唄う「嘉鉄ほこらしゃ」の相方で太鼓と囃子をしたりと楽しませて頂き、最後の六調では保田君の太鼓に合わせて三味線を弾いたりと存分に楽しませて頂いた。

Naoさん(前列左)、大介君(同右)を囲んで。 福本氏のご指名で相方を務める私。

折れた糸巻きまた折れたっ! 2004年10月8日

先日、国立でのライヴ中、いや、ライヴがまだ始まったばかりの頃にその事件は起きた。
朝崎一門三人娘が師匠のライヴ前に一人1曲ずつ唄う事になり、一人だけ調弦の異なる曲を唄う小島さんは一番最後になった。
守さん、新原さんと順調に曲を演奏し終え、「さて、調弦を変えるか」と糸巻きを回そうとすると、堅くて回らない。「あれ?」と思って糸巻きを持ち替え更に強く回そうとしたとき「ボキッ!」と悲しい音を立てて根っこから折れてしまった。思わず「うわっ!」と声が出そうになったが、舞台上なので何とか堪えた。既に舞台袖には小島さんがスタンバっている。折れた物はここではもうどうする事も出来ない。気持ちを切り換え、そして偶然にも傍に置いといた六線に気づき、それを手にした。更に偶然にもその六線は三下げに調弦してあったのだ。しかし、師匠のキーに合わせてあるので、小島さんには相当低く感じるはずだ。ここでキーを上げるとなると六本の弦を合わせるのには結構な時間がかかってしまう。どうしよう??ええぃ、そんなこと言ってられない。ここで舞台の流れを止める訳にいかない。小島さんには我慢してもらうか。と、そのままの低いキーで前奏を始めてしまった。
そんなわけで伸び伸びと唄っていた守さん、新原さんに比べ小島さんにはツライ思いをさせてしまった。申し訳なかったなぁ。
それにしても今回糸巻きの折れてしまった三味線は今年の2月に結ま〜るで糸巻きが折れてしまった物と同じ物だ。1年に2度折れる事ってあるんだなぁ。悲しい...。


チューナーあれこれ 2004年9月27日

私は昔からギターの調弦(チューニング)には音叉を使ってきた。特に深い理由はないが、自分の耳は全く関係なしとなるチューナーでの調弦がどうも好きになれなかったのである。三味線を初めてからは祖父がやっていたようにトンボ社製クロマチック・チューナー(調子笛:画像一番左)を使うようになった。しかし、この笛、実は音程が非常に甘い。唄遊びや三味線の合奏などでは全く問題ないが、ピアノと合わせたりするとなると、この甘さが命取りになる。ましてやライヴ中ステージ上で「プ〜」なんて音を出せない。そこで最近私は「良いチューナーないかな〜」と毎日のようにNETで探し回っていた。
そんなある日、公演でご一緒した際に沖縄の唄者・新良幸人さんが楽屋で使っていたチューナーに目が止まった。SEIKOの作る楽器の振動から音を拾うタイプのチューナー・STX1(画像左から二番目)だ。これを三線の棹に挟んで調弦している新良氏を見て、とても使いやすそうに見えたのだ。さっそくその翌日から調査をしてみると、なんとこのチューナー、実売価格が6,000円位する。う〜む、高い。NETで安く売っている店は無いものかといろいろと検索していると、コルグ社からも同じように振動から音を拾うタイプのチューナーが新発売されたという情報をGET。AW-1(画像一番右)なる製品である。これは良さそうだ。近所の楽器屋では6,300円で売られているが、NETで探すと3,900円というお店を見つけたので、即注文。これを注文してから気づいたのだが、2年前にやはり振動から音を拾うタイプのチューナーGuyatonePT-21(画像左から3番目)を買っていたのを思い出し、ほとんど使わずに箪笥の肥やしと化していたそれを出して使ってみた。確かにギターに貼り付けて使う分にはなかなか良いが、三味線ではイマイチ使い勝手が悪い。なのでヤフオクでとっとと売っ払ってしまった。そんなこんなしてるうちに注文していたAW-1が手元に届いた。これならクリップで挟めるのでギターはもちろん三味線でも非常に使い勝手がよい。また画面も液晶なのでSTX1やPT-21のような光による表示よりも数倍解りやすい点も気に入った。今後、大きな舞台でピアノと共演する際、活躍してくれそうである。
チューナーあれこれ


男だぜ! 2004年9月25日

昨夜テレビでここ3ヶ月間に渡るプロ野球のゴタゴタをまとめて放送していた。たまたま車の中でその番組を見たのだが、選手会長・古田選手の働きにはいたく感動した。私はヤクルトファンではないが、今後は古田選手個人を応援していきたい。


大物ゲスト 2004年9月18日

昨日、五反田結ま〜るで行われた8周年記念わぃわぃライヴに太鼓の鈴太郎君と共に参加してきた。
今回の目玉は実に9ヶ月ぶりとなる結ま〜るで「朝花節」「すばやど節」「嘉義丸の歌」「十九の春」「ありがとサンキュ〜」と5曲を唄った師匠・朝崎郁恵氏のゲスト出演。
いつもは賑やかなわぃわぃライヴのお客さんたちもシーンと聞き入っていた。中でもライヴ後に最前列のお客さんに言われた言葉が印象的だった。「僕は奄美の唄を初めて聞いたけど目を閉じて聞いていると師匠のすごさがわかったよ」と。メジャーデビューをしてしまうと色々と制約が出てくるのだろうが、以前のように師匠にもこういった息のかかる距離でのライヴをたくさんやって欲しいものだ。

五反田わぃわぃ野外ライヴわいわいライヴ二本勝負 2004年8月29日

昨日は五反田商店街振興組合の主催する『五反田わぃわぃライブ』に参加してきた。東急池上線・五反田駅の真下にある目黒川沿いの公園で露店が並び、野外ステージが組まれて2つのバンドが演奏を行うという縁日風のイベントだ。この日のメインアクトは『ダイナマイト・ポップス』なる70〜80年代歌謡曲のコピーバンド。GSあり、ジャニーズあり、聖子ちゃんはもちろん、ゴダイゴやクリスタルキングまで飛び出し、30〜40代の人間ならば思わず目頭が熱くなってしまうような選曲で、これがえらく盛り上がっていた。特に少年隊の「仮面舞踏会」ではまるで本物のように3人の男性が振り付きでボーカルをとってお客さんを沸かせていた。いろいろなアマチュアバンドがいるけれど、彼らほど真剣にあの時代の歌謡曲をコピーしているバンドはあまり無いのではないか。巧い下手は別として、私も大いに楽しめた。
さて、我々はというと...今回のメンバーは結ま〜る悦子ママと私、そして打楽器はハードフォークユニット・うずまきや八月踊り・十五夜会の仲間である鈴太郎にお願いした。元々和太鼓奏者である彼は1度しかリハをしていないにもかかわらず、沖縄民謡にも奄美シマ唄にも巧いこと合わせてくる。また太鼓ソロでは客席を練り歩きくパフォーマンスも見せてくれ、場を盛り上げてくれた。
野外での出番が済むと我々は結ま〜るに移動。いつものようにママの沖縄民謡を中心としたライヴだ。こちらでも鈴太郎は三板(サンバ)と太鼓を同時に叩いたり、鈴太郎というだけあって所々で鈴を効果的に使ったりと様々なテクを見せてくれたので、いつも盛り上がる結ま〜るライヴがより一層盛り上がり、大盛況にて終了。バタバタと慌ただしかったけれども鈴太郎の新たな一面も見られたし、五反田で野外ライヴなんて、また一つ面白い体験が出来た。


やっぱ生でしょ 2004年8月28日

先ほど師匠と明後日のリハ&打合せをしてきた。
いつも思うのだが、マイクを通さない師匠のナマ声は素晴らしい。今回もしびれてしまった。


カラオケ 2004年8月22日

先日、都内某スナックで師匠の唄う演歌を初めて聴いた。曲は「十三夜」と「他人船」という演歌。「古い歌だからあなた達は知らないでしょ」と笑いながら言う師匠。しかし、その歌声は素晴らしく魂を揺さぶられるような演歌だった。その場に居合わせてホントに良かった。
もし出来る事ならば、全曲演歌のフルカバーアルバムをリリースして欲しいものだ。


日焼け止め?! 2004年8月10日

昨日、何気なくTVをみていたら、頬に塗る日焼け止めをミャンマーの言葉で『タナカ』という事を知った。
よりによって日焼け止めとは...。トホホ...。


インストア・ライヴ 2004年8月7日

昨日は銀座わしたショップで師匠のインストア・ライヴがあり、私も三味線伴奏で出演してきた。
曲は『朝花』、『おぼくり〜ええうみ』、『十九の春』とたった3曲だけだったが、たくさんの人が見に来ていて涙を流している人も多く見受けられた。特に昨日は59年前、アメリカが広島に原爆を落とし世界最大級の大量殺戮をした日でもあったので、『十九の春』の元歌である『嘉義丸の歌』を師匠が解説し、2節だけ唄った時にはお客さんだけではなく、ピアノの黒木氏や私まで目頭が熱くなってしまった。


木曽三川 2004年8月4日

8月1日、師匠のライヴに出演するため、三重県亀山に行ってきた。東京から名古屋までは新幹線。名古屋からは2両編成のローカル線で1時間15分ほど揺られる。電車に揺られつつ窓の外を眺めていると大きな川を横切った。東京の方ではあまり見られないような大きな川だ。すると直後にまた大きな川を横切った。今度は大きな川が二本並んで流れている。恥ずかしい話、土地勘のない私はこの時全く気づかず後になって解った事なのだが、これが薩摩義士による宝暦治水で有名な揖斐川・長良川・木曽川だった。復路でも同じ電車に乗ったので今度はじっくりと電車から眺めたが、よくもこんなに大きな川の工事を250年前に遂行したものだと感心してしまった。重機もコンクリートも無い時代だ。まさにこれが本当の『偉業』である。近いうちにこの地に祀られている薩摩義士たちのお参りに行かなくてはいけない、と本気で思った。


夏 2004年7月23日

「暑いですね〜」 「あぁ暑い」 「あっつぅ....」
ここんとこ一日に何回この「暑い」という単語を口にするのだろう。言ってもしょうがないと解っているのに言ってしまう。
でもね、完全に人災ですよ、この暑さは。史上最高気温が記録更新された時だけ「ヒートアイランド現象」なんて横文字の名前付けちゃってテレビや新聞が騒いでいたけど、これだけアスファルトで固めて、ちょっとした土地があればすぐに鉄筋の建物を建てていれば暑くなるのは子供でも素人でも解る、っちゅうの。
品川界隈なんて何ですかアレは。あんなに高いビルをたくさん建てちゃって。全部必要なんでしょうか?目先の利益、自分の利益ばかり考えている人が多くなってそのツケが回ってきたような気がするんだなぁ...。


油ソーメン本邦初公開 2004年7月5日

先ほど師匠宅に伺い、明日の打合せをしてきた。ちょうどお昼だったので師匠は手作りの油ソーメンを用意してくれていた。師匠の作るソーメンはメチャクチャ美味い。油ソーメンは奄美では人気の家庭料理だ。そして各家庭毎にそれぞれの味がある。韓国のキムチみたいなものだ。私の祖母が作る油ソーメンもなかなかの物で師匠の作るそれとは私の中では1〜2位を争っている(笑)
今日の具はチャーシューとカマボコ、椎茸、そして卵だった。もし師匠が自由が丘に油ソーメンのお店を出したら大ヒット間違いなしだろう。


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