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管理人の日記です

前の日記[2002年後半]


マック(関西ではマクド) 2003年7月16日

数年ぶりに朝マックしたら気持ち悪くなった。もうあんなモノ食べられない...。


綱島 2003年6月25日

近ごろ八月踊りの稽古で綱島によく通うようになった。今まで私は綱島駅などほとんど利用した事がなかったが、稽古場となっている場所まで歩く僅か5分の間に様々なお店が軒を連ねていて大変賑やかな街だと知った。その中で私のお気に入りは駅近くのおにぎり専門店である。そこでは大ぶりなおにぎりが1コ100円で売られている。オバちゃんがお玉で丁寧によそってくれる具だくさんの豚汁も1杯100円。料金設定は安いが味もなかなかイケるので「こんなんで商売が成り立つのか?」と余計な心配をしてしまう。
そのおにぎり屋さんの近くにはタバコ屋があり、通常1カートン(10個)買わなければ付けてくれない使い捨てライターをタバコ5個の購入でも気前よく付けてくれる。
綱島っていい街だ。


映画とブルース・バー 2003年6月18日

先週、映画「沙羅双樹」の試写会に行ってきた。以前私の所に三味線を教わりに来ていた島ンチュの福永幸平君が主演男優に抜擢された映画だ。河瀬直美監督作品でカンヌ国際映画祭にも出品されたと聞く。
私は映画に詳しくないので、恐らく監督がこだわったのであろう“映像”には目が疲れてしまったし、飛び飛びの場面展開にストーリーが把握できず、後でパンフレットを熟読してようやく理解できたくらいだが、兎にも角にも「あの幸平君が出演している」と言うだけで親のような気持ちになってしまい、細〜い目で鑑賞したのであった。
その数日後、7月にライブをやらせて戴く下北沢のブルース・バー「Artist」へと足を運んだ。シモキタは私が根城にしている自由が丘と何となく似たような雰囲気の街なので池袋などに行った時のような居心地の悪さがない。シャープな感じのするマスターは私と同世代のハーピスト。クレイアートでブルースマンのフィギュアも制作するという非常に興味深い男だ。音楽やらクレイアートやらといろいろな話をしているとマスターがおつまみに『ガジャ豆』を出してくれた。「何で奄美のお菓子がここにあるんですか」と私が問うと「福永幸平君という奄美の子がここでライブをやった時に置いていったんですよ」とマスター。ここにも幸平君が登場してきた。恐るべし福永幸平...。


今日はロックの日! 2003年6月9日

先日、集英社の編集者・Kさんから連絡が入り、三味線を教えて欲しいと言われた。最初はこのKさんが個人的に習いたいのだと思ったがそうではなく、どうやら雑誌の企画に協力して欲しいようだ。
詳しく説明を聞くと、集英社の出している女性向けの雑誌『non-no』の「Model's Cafe」というコーナーで、non-no専属モデルが各々自分のやりたい習い事にチャレンジする企画があり、各務沙羅(かがみ・さら)ちゃんというモデルの子が、奄美三味線のレッスンを希望しているので今回私に話が回ってきたらしい。打ち合わせをしていてこのKさんという人が変なマスコミっぽさを感じさせないとても感じのよい人だったので、快く依頼を受ける事にした。

斯くして不肖この私が講師として三味線を教える事になり、約束の日時に三味線二丁、チヂンに楽譜などと大荷物を抱えて集英社本社に到着するとKさんと沙羅ちゃんは既にスタンバっていた。
話によると曾お祖父さんが徳之島の唄者で彼女自身は徳之島4世だという。最初は“若いモデル”と聞いただけでミーハーで小生意気な子を想像して少々身構えていた。そういう若者に接すると、イケナイと思いつつもあからさまに無愛想になってしまうし、私自身も大変疲れるのだ。
しかし沙羅ちゃんはとても礼儀正しく感じのいい子だったので救われた。(偏見や勝手な思い込みはいけませんね。)
簡単な自己紹介の後、早速お稽古を開始。
(それにしても各務とは珍しい名字だ。本来は岐阜県に多いらしい。 私の名字は極々ありふれた物なので、珍しい名字は非常に羨ましい。)
祖父の形見である高価な三味線は私が弾き、廉価版人工皮三味線を貸してあげる事にした。
三味線を触るのは初めてだという。三味線の構えやバチの持ち方などを教え、予め用意しておいた譜面を見せる。普通に見ている所を見ると譜面アレルギーは無いようだ。曲は『行きゅんにゃ加那節』を選んだ。この曲は彼女も聴いた事があるというので話が早い。
1節を3つのパートに分け、ゆっくりと教えていく。さすが若者、呑み込みは意外と早い。Kさんはその状況を色々な角度からパシャパシャとデジカメに収めている。
開始から小一時間が経っただろうか。小休止を入れる事にした。何かつまんでくださいと言われテーブルの上に目をやると、出されていたお茶請けの中にガジャ豆をみつけたので思わず「おっ!」と喜んだ事から話が膨らんで、奄美や徳之島、沖縄などの土地柄や名産物の話でひとしきり盛り上がってしまった。
歓談の後はまた少し稽古したが、何だかんだで半分以上は歓談に費やした『Model's Cafe/奄美三味線篇』はこれで終わり。
沙羅ちゃんが「とても楽しかった」と何度も言っていたので、帰り際「これを機にシマ唄を始めて第二の元ちとせを目指してね」と言ってきた。


手術室で... 2003年6月8日

先日、祖母(コオル兄さん1世の妻)が自宅近くの総合病院で腸の手術を受けた。その病院が手術の際、希望者には自分の好きなCDを流してくれるというので『詩島』を持っていった。手術は無事成功し、祖母はまた元気な姿に戻った。その後、看護婦さんが祖母に「あのCD良いですね。スタッフ一同繰り返し何度も聴いちゃいました!」と言ったらしい。よかった、よかった。


八月踊り 2003年6月4日

今日は6月4日、虫歯の日。1992年の今日、中野サンプラザにモリタカのコンサートを見に行った。
曲間のMCで「みなさ〜ん、今日が何の日か知ってますか?」と森高が言った。私は知っていたがオトナだから黙っていた。毎年虫歯の日が来ると、そのコンサートを思い出す。

さて、昨夜は八月踊り『十五夜会』の第二回目の稽古に参加してきた。前回稽古した3つの踊りを復習し、新たにまた一つの踊りを教わった。これがなかなか複雑なステップなのでマスターするまで少し苦労しそうだ。この難しいやつを踊っている最中、体重移動が下手なのか、はたまた風邪が抜けきらず微熱があったせいなのか腰が痛くなってしまった。
今回揃ったメンバーは前回よりも多い13名。そのうち新規入会者が5名もいた。これからドンドン増えそうな勢いである。
「八月踊りは踊れない」と言っていた島ンチュのST君も「これなら出来そうだ」と喜んでいた。


MDウォークマン 2003年6月2日

また壊れた。今回は仕方ないかな。自分でぶつけたんだから。
愛用のMDウォークマンは今まで2回修理に出した。1回目は購入1年目。録音するとノイズが凄かった。保証がギリギリ残っている時期だったので修理代は無料。
その数ヶ月後に前回と同じ症状で修理へ。それが2回目。保証期間切れで修理代は金8700円也。高いなぁ。そして今回、バッテリーのフタ部分をぶつけて破損。フタが取れてしまった。で、修理代は8400円也。高けぇぇぇぇ!こんな小さなプラスティックのフタを新調するだけでそんなに取られるのか...。

先日は別のCDコンポを修理に出そうとした。以前に今は亡き祖父から貰った物なので、出きれば長く使いたかったのだ。メーカーは前述のMDウォークマンと同じ「S社」である。Wカセットの片方が全く動かなくなり、CDも読みとりが不安定になったということで見積もりは何と12,000円。...バッカらしい。今時はそれくらい払えば新品が買えてお釣りがくるぞ。
S社の諸君!キミたち大手メーカーがそんな商売をしていて良いのか?

私の古い友人にこの「S社」勤務の人間がいる。たまたま会う事があったので「S社は修理代を高く設定しすぎじゃないのか」と問いかけると、「確かに高い。修理で利益がかなり出るようだ。しかし自分たち社員に何ら優遇措置はない。」と返ってきた。更に「新製品も安く買えるわけじゃないし、修理代も高いから自分たち社員でも他社製品を買う事が多い」とも。あらら。

私は決して使い捨ては好まない。一つの物を直しながら長く使っていく方が好きだし、それが素晴らしい事だと思う。現にアコギは直しながらもう22年も使っている。しかし、これほど修理代が高いとさすがに参る。次から次へと新品に買い換えていった方がずっと安上がりなのだ。
「環境を守ろう」とか「エコロジー」などというのが当たり前になってきた昨今、大手メーカーも少し考え直して戴きたい。


唄遊びと八月踊り 2003年5月28日

5/24、阿佐ヶ谷『グルくん』にて開催された唄遊びの会に参加してきた。私がこの会に足を運ぶのは3回目となる。
今回は参加メンバーが少なくやや盛り上がりに欠けたが、こういう日もあるだろう。毎回毎回“新しい発見”を求めて参加しているのだが、なかなかそうもいくまい。

さて、話は変わって昨夜は某区民センターで開催された八月踊りの会『十五夜会』に参加してきた。今まで唄として八月踊り唄を稽古してきたが、踊りを合わせるのは初めて。元来私は踊りというものが好きではなかったので、夏の盆踊り大会もほとんど参加した事が無く、小学校でやらされたフォークダンスなどというものは大っ嫌いでサボる事ばかり考えていた。80年代に一世を風靡したディスコなんぞも数えるほどしか行った事がないし行っても食ってばかりで一切踊らなかった。しかし、初めて喜界島で八月踊りを見た時に「この踊りをやってみたい!」と、少し気持ちに変化が現れた。それから時は流れ、今回師匠が音頭を取って八月踊りの会を立ち上げるという事で参加を決意した。立ち上げメンバーは八月踊り初心者ばかりなので、踊りの苦手な私でもどうにかついていけるだろうと思ったのだ。
その第1回目の稽古が昨夜行われた。普通の踊りと違うのは唄を唄いながら踊る点である。幸い唄はずいぶん前から稽古しているので、それほど苦もなく口から出てくる。初めは難しいと思われた足の運びも、やっていくうちにだんだん慣れていき、何だか楽しくなってきた。踊って「楽しい」と感じたのは生まれて初めてである。今回は簡単な踊りを3種類(3曲分)ほど習ったが、まだまだマスターしなければならない難しい踊りがいくつも残っている。いやぁ〜今後が非常に楽しみである。

解説:
八月踊り・・・奄美大島の伝統的な踊りで唄を唄いながら輪になって踊る。三味線伴奏のシマ唄と同じように唄を掛け合うが、伴奏は太鼓だけを使用。唄によって踊りが違う。少ない集落でも7〜8曲。多い集落では20曲くらいの唄(踊り)がある。また、集落によって唄(曲)も踊り方も違うので、奄美大島全集落の八月踊り(唄)を全部網羅する事は不可能に近い。
地元では旧暦の八月に満月の下で朝まで踊る。


ファッション誌 2003年5月23日

某女性ファッション誌の担当者さんから「専属モデルに奄美三味線を教えて欲しい」という依頼が来た。どうなる事やら、乞うご期待。


楽器小僧のそこんとこ教えて!2003年5月18日

TSUTAYAなどで配布されているフリーペーパー<注1>『エンターテイメント・ゲイト』に“楽器小僧のそこんとこ教えて!”というコーナーがある。今までギターやEベースなどが取り上げられている。
先日、その担当者から奄美三味線を取材したいと依頼が来たので快く応じた。“楽器小僧”というからどんな小僧が来るのだろう、と少々身構えていたのだが実際取材に来たのは普通の女性だった。約1時間半の間、ババーッと一気に説明したから「文章としてまとまるのかな」なんて思っていると出来上がりを見てびっくり。限られた紙面で奄美三味線が巧いこと紹介され、しかもしっかりと沖縄三線との違いにまで言及している。さすがは文章のプロ。大した物だと感心する事しきり。

解説:
<注1>『エンターテイメント・ゲイト6月号(vol.13)p.13』参照


ライブその後 2003年5月17日

昨日のグルくんライブはえらく人が入った。予約で既にいっぱい。そんな事は今まで一度もなかったので、相棒の奈良氏と「平安さんのライブと間違って予約しちゃった人が多いのかも」などと話していたくらいだ。(ライブレポートはこちら
さて、ライブは盛況に幕を閉じ、小腹がすいたので焼きそばでも食べようかと思っていると、とある男性がケーナ(南米の縦笛)とシマ唄のセッションをしてくれという。ケーナに合わせる為キーを上げて調弦し『行きゅんにゃ加那節』などを弾いていると、哀愁のあるケーナの音が絡んでくる。いつの間にかジャンベのリズムも加わり、なかなか気持ちよい音になってきた。もっとキチンとした準備をすればかなり良い物が出来る可能性大だ。また新しい人との出会いで可能性が広がった。<注1>「神ぬ引きゃわしに稀々汝きゃば拝で」である。

その後、1年ぶりに我々のライブを見に来てくれたM三味線教室O氏が(相当酔っていたのだろう)大暴れ。次から次へと私にリクエストしてくる。(何故か立っている・笑)。数曲唄って疲れたので三味線をO氏に貸すと持参のシマ唄集を見ながら次々と(というか3〜4曲をぐるぐるエンドレスで)弾き唄いはじめた。非常に楽しそうだったので放っておいてあげて、私は他の常連さんと話をしているとクラプトンやツェッペリンなどが話題に。それじゃぁという事で今度は一度しまったギターを取り出しまたまた宴会騒ぎに。「ホテルカリフォルニア」なんか弾いた日にゃぁ大変。四十前後のオッサン四人で唄いまくり状態である。そして次はなぜか吉田拓郎メドレー。ここでグルくんママが通りがかりに「そういうのやってよ、ライブで」というが、そんなの出来るワケないって。
とっても楽しかったのだが、時計の針は深夜1時...急いで退散したのであった。

解説:
<注1>「あなた方とこうしてお会い出来るのは稀です。きっと神様が引き合わせてくれたのでしょう」という意味。南大島の朝花節でよく唄われる歌詞。


自由が丘で... 2003年5月10日

昨日、また大木凡人をみた。くわえ煙草で歩いていた。


テレビ 2003年5月4日

昨夜、BSジャパンで放映された『奄美島唄〜心の旅〜』を見た。
我が家ではBSが見られないので、様々なAV機器の充実している私の実家で録画をしてもらおうと思い、薩摩生まれの父に依頼したのだが、何とこのBSジャパンは録画が出来ないように細工されているらしい。なんと姑息なっ!
という訳で仕方なくリアルタイムで見る事となった。
さて、番組の方は非常に落ち着いた雰囲気で大島紬や黒糖の紹介はもちろん奄美の生活風土からシマ唄の紹介までとなかなか充実した内容だった。先日各方面で不評だった某情報番組など比にならないくらい楽しめた。
有名唄者の出演も最小限で、その代わり調弦の狂った三味線を平気で弾き、歯の欠けた口元からでる声がとても渋かったりする無名な名人や機を織りながらシマ唄を口ずさむオバァ、そしてユタの神歌などなかなかテレビでは見られない貴重な映像を見る事が出来、非常に満足している。


唄遊びの会 2003年4月27日

昨夜は阿佐ヶ谷・グルくんで行われた唄遊びの会に参加してきた。前回はほんの少ししかいられなかったので今回は仕事が終わってから急いで現地に向かった。
最初はお話が多かったが、主宰・福本さんの音頭でいろんな唄をみんなで回して唄い始めると途中から唄者・森田照史も合流し、一層賑やかに。
前回と違って場がしらけるような事をグチグチ言う人もなく、他のお客さんも巻き込んで楽しく唄遊びが出来た。「シマでも今ではこんな賑やかな唄遊びはなかなか出来ない」と福本さんがいう位に盛り上がった。こういう場を開いてくれた福本さんに感謝したい。この唄遊びの会、長く続く事を祈っている。


めざましテレビ 2003年4月18日

今朝は早起きして『めざましテレビin奄美大島』を見た。奄美からの生中継でシマ唄のコーナーもあるという宣伝文句に踊らされ、予約録画していたにもかかわらず目が覚めてしまったのだ。ところが、実際に見てみると実に中途半端な内容でガッカリしてしまった。
朝の情報番組だから度々挟まるニュースは仕方ないとしても、全体に「奄美を知らない人が見ても何も興味が涌く」内容にはなっていなかったと私は思う。レポーター達が奄美の大自然に挑む場面ではバックにシマ唄を流さず洋楽が流れ、また、シマ唄紹介のコーナーでは有名唄者が「稲摺り節」を唄う際、いかにも内地のスタッフが考えたような標準語の即興歌詞をやりにくそうに唄っていたのがとても気になった。制作サイドはこういうのが一般受けするとでも思っているのだろうか。次に唄われた曲は喜納昌吉さんの「花」だ。「いくら何でもこれはちょっと違うだろ〜」と思わず画面に向かってツッコミを入れてしまった。鹿児島テレビが関わっていながら沖縄と奄美の区別もつかないのだろうか?大御所唄者の坪山さんは非常に唄いづらそうで見ていて気の毒。その上“花”の2節目からリズムがシャッフルに変わって周りにスタンバっていたオバア達が手踊りを初めると、司会者が「六調です!」だって。おいおい...。
もう一つ細かいことを言わせて貰うと、画面の右上に出ている番組のマスコットが三味線を持っていたのだが、持っているバチが内地の三味線で使うような大きなバチだった。三味線の胴部分が蛇皮模様だったのはOKだけど奄美のバチはやはり細長い耳かきのような物でないとねえ...。
テレビの影響力は大きい。制作者たちはもう少し勉強してから番組を作るべきだと思う。


唄・三味線:タナカアツシ、お囃子・太鼓:新原恭子(新潟グランドホテルにて)新潟2 2003年4月7日

一昨日(4/5)は朝早く東京を出発し新潟で唄ってきた。京都の着物会社が主催する『大島紬展』に招かれてのシマ唄ミニライブだ。 
お客さんは大島紬の展示即売会にやってきた地元新潟のご婦人ばかりであったが、その中には予期せぬこのライブをしっかり聴いてくれる方も意外に多く、終わった後に「一緒に写真を撮って下さる?」なんて言われたりもした。
出番が終わった後、今まで見たことのない日本海を見ておこうと、お囃子で同行した新原さんと共に会場から海まで片道40分の距離を歩いた。日本海は波が強く荒々しい海で等と勝手にイメージを膨らませて海岸に到着。しかしそこにはテトラポッドだらけでしっかりと整備された海岸が目の前に広がっていた。ガッカリ。喜界島の塩道長浜などもそうだが、これは本当に必要な護岸工事なのだろうかと訝ってしまう。
雨で足元が悪くまた寝不足もあってとても疲れたので帰りはタクシーで戻ることに。今回は強行スケジュールと悪天候のため観光らしいことは全然出来なかったが、今度来る時は時間にゆとりを持っていろいろと散策したい。


アクセサリー結ま〜る 2003年4月4日

五反田・結ま〜るに顔を出してきた。
常連さんのU氏が私にプレゼントがあるというのである。お店に入るとママが奈良氏と組んでワイワイライブの真っ最中。お客さんは満席で大いに盛り上がっているではないか。カウンターの隅に陣取ると間もなくU氏が来店。「早速だがこれがプレゼントだよ」と手渡されたのはシルバーのアクセサリーである。首に下げるようストラップまでキチンとついている。
実は、3/14結ま〜るライブの際、U氏が私・奈良氏・新原さんの三人に「君らにプレゼントをあげよう。今度持ってくるから楽しみにしててね。」と言ってくれたのだが、それは『酒の席でのこと』でまさかちゃんと約束を果たしてくれるとは思っていなかったのだ。戴いたアクセサリーは蛇を象った物。三味線も蛇皮だし、私もヘビ年、息子もヘビ年という事で良い物を戴いた。お守りとして大事に使わせて戴こう。
そして案の定、ママから「何曲か演奏して」と依頼を受けたので、『朝花』、『一切朝花』、『チンダラ節』の3曲だけやらせて戴いた。これもたいそう盛り上がりとても楽しめた。 


新潟 2003年4月3日

明後日の土曜は朝崎先生の代打として新潟で演奏することになった。出演が何分位になるかまだ詳細は解らない。朝早く東京を出て出番を終えた夕方には新幹線で東京駅に着くと言う強行軍でもあるので市内観光など出来るはずもないが、スキー以外の目的で新潟に行くのは初めてなので少々楽しみでもある。


余興 2003年3月27日

昨日は地元商店会のパーティーに参加することになり、その“余興”として一曲だけシマ唄をやって欲しいと言われ、唄ってきた。
会場に70〜80名位はいただろうか。すべて酔っぱらいである。しかも直前まで大音量で流れる80年代のユーロビートに合わせて踊り狂っていた人たちだ。かなり厳しい状況である。
案の定、唄の前奏を始めてもワイワイガヤガヤが収まることはなかった。ところがそんな中、3名ほどじっくり聴いてくれる人が私の視界に入った。ありがたいなぁ。「その3名のために一所懸命やろうっと」という感じで久々に試練の場を済ませてきたのである。


赤とんぼ 2003年3月26日

昨日、とあるクローズドの場でオカリナ伴奏による朝崎先生の唄を聴いた。考えてみると私はオカリナを生音で聴くのは初めてである。
ごく親しい方のみを招いてのクローズド・ミニライブだったので私が弾く三味線伴奏のシマ唄もやったのだが、一番印象に残ったのはオカリナ伴奏で先生が唄う童謡「赤とんぼ」だった。先生がシマ唄のようにグインを入れて「赤とんぼ」を唄う。それにふくよかな音のオカリナが絡む。さらに聴いているお年寄りたちが誰からともなく一緒に唄いだしたのだ。中には音のずれている人もいたが、それらが相まって胸にジ〜ンと来てしまい、3番の歌詞を聴いた時に涙が出そうになった。
初めて聴いたその歌詞は「十五で姐やは嫁にゆき お里の便りも絶え果てた」というものだ。
後に調べて解ったことだがこれは作詞者の三木露風が幼少時代の実体験を元に作った物だという。明治時代中頃の話だ。母に捨てられた露風が子守娘に背負われながら赤とんぼの群れを見てたという1番の歌詞も「追われてみたのはいつの日か」だと非学な私はこの年まで思っていたが「(背)負われて」だった。「赤とんぼ」は子供の頃から知っている歌だったが詞の意味なんて考えたこともなかった。シマ唄をやるようになって私も少しは唄の意味を考えるようになってきたという事か。
まさに
<注1>『歌半学』である。

解説:
<注1>シマ唄を学べば学問を半分した事に等しいくらい勉強になるという事。


唄遊び 2003年3月22日

今日は仕事が忙しく私はすっかりバテてしまった。昨日は昼にレコーディング、夜にグルくんでのライブ、そして今日の仕事が朝から夕方までビッチリだったので仕方ない。今夜グルくんで行われる『唄遊びの会』はパスさせて戴こうと実家で久々に会う父と一緒に晩飯を食べていた。
するとO氏から電話が入った。
「グルくん、盛り上がってま〜す。来て下さ〜い。」...酔っているのだろうか。かなりテンションが高い。声のうしろから三味線の音が聞こえる。
非常に疲れてはいるのだが、唄遊びにも興味があるので、行くことにした。
約40分後、グルくんに到着。ママの叔父さんである福本さんがいつもの人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
この日、唄遊びの主導権を握っていたのはMさん。この人、以前大塚の『そてつ』でお会いしたことがあるがお話しするのは初めてだ。この方から「君は島ンチュじゃないな。唄の発音が悪い。特に○○という部分。」と<注1>指摘された。朝崎先生から唄を教わる時にいつも発音の重要性は言われているが、注意していても普段使う言葉でないので古老のような発音をするのは本当に難しい。自分でも気にしているのだが、とうとう指摘されてしまった。しかし、話を聞いてみるとそのMさんも純粋な島ンチュではないらしい。どうりでこの人の発音もちょっと違うと思った。思わず笑ってしまった。

「いろんな人がいろんな声でそしていろんな唄い方で一つの曲を唄い回す。上手もいれば下手もいてそれで良いじゃないですか。」と主宰の福本さんは言う。まったく同感である。また、「師匠が違うからとか、生まれジマが違うからとか、流派がどうのとか、そういった事は一切抜きにして唄遊びを純粋に楽しむ場を作りたいんですよ。」とも言っていた。
今や奄美シマ唄ライブは都内のあちこちで行われている。それはそれで素晴らしいことだ。しかし、福本さんの言うような主旨の唄遊びはなかなか無い。お話を伺って福本さんのシマ唄を愛する気持ちがヒシヒシと伝わってきた。
次回も都合が合えば参加したいと思っている。

解説:
<注1>
後日「発音が悪い」と指摘された部分を朝崎先生に確認してみると、「タナカさんの発音が正しいわよ」と言われた。
    さらに「そんな所を指摘するなんて、シマ唄をあまり知らない人なんじゃない?」と不思議がっていた。


LUNA SEA 2003年3月21日

我が師匠・朝崎先生は最近新しいCDのレコーディングで忙しくされている。
今度のCDは高橋全氏のピアノはもちろん、その他にもギターなどの洋楽器でシマ唄がアレンジされる。その中で1曲だけ三味線伴奏のみの古典的なスタイルで収録される『朝花節』は私が伴奏を務める事になった。
3/21(祝)、都内某スタジオでその録音に参加してきた。
録音は2テイクで早々と終了したので、ロビーでお茶を飲んでいると、今回のCDに参加する元LUNA SEAのギタリスト・SUGIZO氏が登場。私も紹介を受けた。彼はソファに座って雑談する時も、年季の入ったストラトキャスターを常に弾いている。師匠である土屋昌己氏から譲り受けた宝物だという。
あるスタッフからの「ギターが本当に好きなんですね」という問いかけに対して彼は「高校時代は授業中もギターを弾いていた」と答えたので思わずニヤッとしてしまった。斯く言う私も実は高校時代は授業中でもギターを弾くギター小僧だったのである。まさかそんなふざけた生徒は自分くらいしかいないだろうと思っていたが、ここにも一人いた。それで思わずニヤッとしてしまったのだ。
SUGIZO氏のギターが暴れまくるシマ唄、出来あがりが楽しみである。


No war!! 2003年3月20日

日本時間3/20(木)11時、中東の方で戦争が始まった。
メリケン二世大統領は『正義と自由』の為の戦争だという。何度聞いても理解に苦しむ。
先月15日と16日の二日間、私は反戦コンサートに参加してきた。
私などはまぁいいとしても16日のトリを務めた“まよなかしんや”氏はホンキで反戦運動を行っている人で、沖縄の米軍基地やイラクに何度も行ったという。
そんな人たちを中心に多く人々が反戦を声高に叫んでいる中、やはり戦争は始まった。
米国ラムズフェルド国防長官が開戦直前の記者会見でニヤニヤ笑っていたのが不謹慎極まりなく見え、非常に腹立たしかった。
奄美の古老たちに頼んで米国の戦争好きなお偉方連中の前で唄ってもらいたい。
「♪白だ黒だとケンカはおよし、白という字も墨で書く」と。


さよなら 2003年3月15日

3/14ライブ当日、いつものように結ま〜るに行くと一つの写真立てがお店の中央に立ててあるのに気づいた。
その前には一杯の泡盛が捧げてある。
よく見るとお店の常連さんのニイムラさんではないか。私も幾度か面識がある。
話によると数日前に交通事故で亡くなったという。ビックリした。
生前彼は我々のライブの際、最前列に陣取り三味線を弾く私の左手をジーッと見ていた。
そしてライブ後、私に「奄美三味線の指使いは見ているだけじゃ.盗めそうにないや」と言ってきたのでとても印象に残っている。
話しやすいとても良い人だった。
故人の冥福をお祈りする。


棹が... 2003年3月2日

早いもので年が明けて既に二ヶ月が過ぎてしまった。人はこうしてだんだん年をとっていくのだなと思う。(何のこっちゃ?)
昔タモリがテレビで言っていた言葉を思い出した。
「二十歳を過ぎると早いなどと人は言うが、三十(歳)を過ぎると四十(歳)になるのはもっと早い。さらに五十(歳)なんて向こうから駆け足でやってくる」と。

さて、本題に入ろう。
なんと昨年の7月に購入した廉価版三味線の棹(ユスに漆塗り)がもうくたびれてきてしまった。棹のよく押さえる部分の塗装が剥げて地肌が見えてきたのである。意外と摩耗が早い。練習量の賜物なのか漆の耐用年数が短いだけのかはよく解らない。う〜む、どうしよう。いっそのこと全部塗装を剥いでラッカーでも塗ってしまうか。そもそもユスの棹が欲しかったのは「塗り」を施していないユス棹が欲しかったからだ。塗りがない分湿気には弱いだろうが、あの独特の枯れた雰囲気がたまらなく良い。
そういえば先日共演したスーパーベーシスト・鈴木浩遊氏が「ラッカーを塗るならヨット用のエポキシが良い」と言っていた。ベースのネックに塗ったら良い感じだったという。試してみる価値はありそうだ。ところでヨット屋さんてどこにあるのだろう?


世間は狭い 2003年2月25日

昨日、私の職場に現れた<注1>不動産屋のA山さんが受付に飾って置いたCD詩島を購入していった。私が奄美三味線を弾くことを知らなかったA山さんは「意外だ」と驚いていた。別に隠していた訳ではないが、特に言い出す機会が今までなかったのだ。
そしてその足でA山さんはCD詩島を大家であるIさんに見せた所、『朝崎郁恵』の名を見て驚いたそうだ。なんとIさんは
<注2>『満月の十三祭り』をプロデュースしているY氏と友人で、昨年12/20のライブも見に来たのだという。「あの時、三味線弾いてたのが彼なのかなぁ」とA山さんにつぶやいたと言う。
世間は狭いものだ。

解説:
<注1>契約更新だ。二年に一度、一番イヤな時期である。
<注2>池上本門寺で満月の日に行われるライブ。2002年4月を皮切りに喜納昌吉や喜多郎など個性的なミュージシャンが参加している。
    我らが朝崎郁恵さんも2002年12月20日に参加。この時私も伴奏者で参加。


飛び入り参加。そして『いきんとう節』 2003年2月22日

昨夜は晩飯に沖縄料理でも食べようと結ま〜るへ行った。「いつものように座敷でくつろぎながら食べよ。空いてるといいな」なんて思っていたら大間違い。店に入ってビックリした。
宴会の団体客が2組いて店内はたいそうバタバタしているではないか。ほぼ満席で座る所もカウンターの2席のみ。こりゃ参った。顔見知りだけに「じゃ、帰ります」とも言えず、窮屈なカウンターで晩飯を食べていると、そのうちに座敷の団体客が帰った。すぐに座敷に移動させてもらい食事の続きをしていると我那覇ママから「何曲か一緒に演奏してよ」とお願いされてしまった。断る理由もないので、『チンダラ節』と『六調』をやらせてもらった。ノリのいいお客さんはずっと踊っていた。しかし『六調』を一人で唄うのはしんどい。相方が欲しかったなぁ。

ところで、先日(2/14)のライブでの出来事。
第一部の後半、朝崎先生が一足先に休憩してその間、「中座」と称して私と奈良氏で二〜三曲演奏するのが最近のパターンなのだが、そこでいつものように持ちネタの『チンダラ三部作』をやると、初老の男性が近づいてきて、「八重山から沖縄本島の曲をやって、どうしていきなり奄美大島に跳ぶんだ?沖永良部はどうした?『いきんとう節』やってくれよ。私はね沖永良部のシマ唄が世界で一番美しいと信じているんだよ」と少々ケンカ腰で言われてしまった。
『いきんとう節』は数回聴いたことがあるが、私の耳には沖縄民謡に聞こえる。決して沖永良部の唄が嫌いな訳ではないが、あんな言い方をされてしまうと多少反論したくなる。
そもそも私にとって『チンダラ節』は祖父の思い出がたっぷり詰まった曲である。当時小学生だった私にとって難解なシマ唄よりもすぐに覚えられるメロディと大和グチの歌詞、それに加え「風々吹くな〜シャボン玉飛ばそ〜」の囃子。この曲をやる度に祖父が仲間を集めて今で唄遊びをしていたのを思い出す。替え歌(六調などと同じ七七七五調)で歌っているとは知らなかったので「ずいぶん長い曲だな、いつ終わるのだろう」なんて思ったものだ。それに私がシマ唄をやっているのは“祖父がやっていたから”である。だから祖父がやっていなかった沖永良部のシマ唄は演奏する気もなく今のところ覚えようとは思わない。聴くだけで十分である。それに、覚えなくてはいけない奄美シマ唄がまだまだたくさんあるのだ。


三日連続 2003年2月16日

2/14(金)の結ま〜るライブ、そして昨日2/15(土)のライブ共に大盛況だった。あとは今夜のライブが終われば一段落。
連日の睡眠不足がたたり体調はすぐれないが、もう一日頑張ろうっと。


ミック・ジャガーとイクエ・アサザキ 2003年2月6日

先日、朝崎先生宅に奈良氏とお邪魔して2/14結ま〜るライブの打ち合わせと軽いリハをしてきた。
自宅でリラックスして、居間でかりんとうや黒糖を摘みながら唄う先生の声はとてもよい。聴いていて惚れ惚れしてしまう。

数日前にローリングストーンズのインタビューがTVで放映されていた。ミックは今年で60歳になるという。ロックの世界で60歳は大変なご老体のように言われるが、島唄の世界ではまだまだ上の方がたくさんいらっしゃる。そしてその70代80代の方々の声はみなさん素晴らしい。
こと“シマ唄”に関する限り、早く私もオジイになって渋い声で唄いたいものだ。


スタジオNOAH 2003年2月3日

もう先週の事になるが初めて赤坂の<注1>貸スタジオ“NOAH”に行った。2/15に行うライブのリハーサルをするためだ。
スーパーベーシスト・鈴木浩遊氏とは昨年1月の六本木・BAR440ライブ以来の共演となるが、氏はその時にやった数曲をほぼ覚えていたのでその記憶力の良さに驚いた。いま彼はこのNOAHでベースを教えているらしい。彼のようなスーパープレイヤーに教えてもらえる生徒さんは何と幸せ者なのだろう。
2/15のライブはいつもの相方・奈良氏が
<注2>出演できないので、代打としてBirthstoneのボーカリスト・新原恭子嬢が私の相方をしてくれる事になった。彼女も私と同じく喜界三世である。
喜界三世同士の歌掛けとバカテク・スーパーベーシストの妙なユニット。当日は一体どうなる事やら...。

解説:
<注1>“自由が丘NOAH”と同系列とは知らなかった。赤坂駅目の前という交通至便の場所にある。私は溜池山王駅から歩いたが、途中前を通った“赤坂ラーメン”に寄ろうか寄るまいか一瞬悩み、結局やめた。夜中のラーメンはこの上なく美味いがデブの元である。

<注2>イベント2日目の2/16(日)は奈良氏が出演。いつもの私とのユニットです。


夜の自由が丘で... 2003年1月13日

大木凡人を見た。(それだけ)


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