- 島唄四方山話 -

その4:唄に三味線をつけるという事 2005.8.22up
唄遊びの風景
唄遊びに興じる人たち(阿佐ヶ谷・グルくんにて)
■唄と三味線
唄と三味線は当然、唄の方が歴史が深い。それ故かどうかは解らないが、「唄に三味線をつける」というような表現がしばしば使われる。
現代の音楽では大抵「伴奏に歌をつける(合わせる)」といった事が暗黙の了解となっていて、例えばカラオケなんぞでは小節数がキッチリと決まっている伴奏に対して譜面通りのタイミングで歌わなければならないのは誰でも知っている事だ。それがシマ唄の場合、唄が主で三味線が従となるので、唄い手は前奏の途中だろうが勝手に唄い出す。まぁ前奏といっても決まった前奏というものは存在せず、「この曲ならこんな感じ」程度のものしかない。要するに三味線弾きのセンスに任される事が多いように思われる。
。また唄い手は自分の思うように唄を伸ばしたり縮めたりするので、1拍や2拍ズレる事が頻繁にある。そこがシマ唄の面白いところでもあるわけだが、三味線弾きはそれを瞬時に理解し、巧い具合に対処しなければいけないのだ。私が思うに唄メロディーを忠実になぞるように弾くのではなく、『つかず離れず』的に弾く三味線が「巧い」とされるようだ。
....と、書くのは簡単だが、実際に弾くのは非常に難しい。
また便宜上「ズレる」という表現を使ってしまったが、本来音楽は2や4で割り切れる拍数で演奏するものばかりではなかった筈だ。日本の民謡が偶数の小節数で整理されてしまったのはある時期から西洋音楽の影響を受けてしまったからではないかと思われる。

 


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